前のたまちゃんの飼い主は運営主の父で、とても大切に飼われていた猫さん。
私の父は末期がんで家族で看取ったのは数年前のことで、その後1年後たまちゃんは父の元に旅立ちました。
たまちゃんは亡くなる寸前まで父の事を忘れておらず「忠犬ハチ公」のように待ち続けていたのです。
それを間近で見ていた私は出来ることなら飼い主は飼い猫より先に死んではならないと思いました。
猫は人間が思っているより愛情深い生き物なので長く暮らしてきた飼い主のことを決して忘れることはありません。
目次
老猫たまちゃんが父から離れない
父の容態がかなり悪くなり在宅療養になり、私も父の看病のために実家に帰りました。
私が帰ると尻尾をピンと上にあげ、とても歓迎してくれたたまちゃんですが今回は、父との時間を惜しむかのように側を離れませんでした。
食べることトイレに行く以外はずっと父の側にたまちゃんが寄り添い喉をゴロゴロ鳴らしていました。
この老猫の行動は死に向かう人間のために最後に出来る緩和ケアを本能的に知っていると思われます。
- 側にいる
- 安心させる
- 触れる
- 抱きしめる
- 声をかける
終末期には点滴などより上の行為が痛みを和らげることができます。この支えがとても大切なんですよ。
人間だとお医者さんに家族の余命宣告をされると大抵の人は延命を望み出来る限りの治療をお願いしますが、その延命治療が終末期に向かう患者の苦しみを長引かせることになるのです。
私も看取りについて勉強して過剰な延命は父を苦しませるのをわかっていたのに身内のことになると冷静になれず、どんな形でも生きていてほしいと思いました。
この老猫の取った行動ただ父の側にいることが父が最後に望んでいた「側にいて安心させてほしい」でした。死ぬ前、人はとても寂しがるのです。
父死の前日老猫たまが泣く
父が亡くなる前日にたまちゃんが、長い時間父を見つめながら大きなまばたきを何回もしていました。
- 信頼
- 挨拶
- 愛情表現
この世で最後のお別れをしているかのように。私は長い間猫を飼ってきましたが、あんなに悲しい目をした猫を見たことがありません。思わず私も、もらい泣きをしてしまいました。
たまちゃんの目にたまたまゴミが入ったのか涙を流して泣いているようにみえました。
父に「とても愛してる!でも今日はとてもさみしくて不安だよ」目で訴えるたまちゃん。
いつ遊んでくれるの?
さみしいの
たまちゃんの予感が的中してしまい翌日、桜が散る朝父はそっと息を引き取りました。
父が遺骨になっても仏壇から離れないたまちゃん
父の遺骨が火葬場から帰ってきたので仏壇に置くと、たまちゃんは仏壇の周りで父の姿を探していました。
飼い主のにおいがするよ。
父が仏壇の中にいると思ったのか、たまちゃんは仏壇の前に座り父を待っていました。
納骨が終わるとたまちゃんは父のにおいが消えてしまったので不安になり、みゃうみゃうと母親を探す子猫のように鳴き続けます。
飼い主と会えないストレスで食欲不振になり一日中眠るようになりました。
老猫であるたまちゃんは死の淵をさまよいますが周りの家族の懸命の看病のおかげで復活したたまちゃん。
相変わらず帰らぬ父を一日中待ち続けていました。
飼い主にいつ会えるの?
老猫たまちゃん引っ越し先で認知症に
父の忘れ形見である老猫たまちゃんを筆者が引き取ることになり遠く離れた土地で暮らすことになったのです。
家が違うことで父を探せないと思ったのかパニックになったたまちゃん。不安そうにウロウロして父を探す毎日。
しばらくすると落ち着きをとりもどしますが、たまちゃんは認知症になってしまいました。でも私は認知症になって飼い主を看取った猫の辛すぎる過去を消すことができたのだから、良かったのではないかと思っています。
そして私の家で最初から住んでいたかのように暮らしはじめたのです。
ごはんまだ?
食欲旺盛になり元気をとりもどしたかのように見えたのですが、老化と病気は進行していました。
- 長く生きれない
- 認知症
- 高齢
- ガン
- 治る見込みがない
ことから痛みがでたら取り除く、往診してもらうことに決めて延命治療はしないことにしました。
たまちゃんは獣医師が苦手で治療を拒む姿は、まるで病院嫌いだった父のようだなぁと思いましたね。
なぜ痛めつけるのさ。
たまちゃんな体には敵がいるから寝ていれば治るのに。
たまちゃん、もう痛い思いはさせないよ。
飼い主はたまちゃんにもっと生きてほしいけど…
自然に任せた、たまちゃんは最後の時を幸せに暮らせたようで、余命より長く生きました。最近人間の医療でも生活の質を落とす延命治療は積極的に行われていないようです。
急に体調が悪化したたまちゃん
坂道を転がるように体調が悪くなってしまったたまちゃんはエナジーチュールしか食べなくなりました。
このエナジーチュールは代々の猫がお世話になっていて猫が話せるのなら「あぁ美味しかった」と言うでしょう。
猫も人間も最後は美味しいものを食べたいんです。
水は亡くなる寸前まで自力で飲んでいました。水を自ら飲めるというのは強いです。
好きな場所でくつろいで甘えん坊になるたまちゃん。
年老いて弱っていく姿を見たくないという人もいますが、死は忌み嫌うものじゃないと私は思っています。生があるかぎり死があり、死があるから生が輝く。
元気でいると命は有限であることを忘れてしまいがち。なので寿命の短いペットが命が有限だから大切ということを教えてくれているのかもしれません。
生きるのは大変だけど一生懸命生きるんだよって。
猫は最後まで一生懸命、自分の力で生きようとします。死は自然なことで誰でも苦痛を取り除きながら死ぬ力を持っているのです。
たまちゃんが懸命に生きようとした理由は亡き父に会いたい思いからきていたことがわかりました…亡き飼い主のために生きていたかったようです。
老猫たまちゃんは亡き飼い主を思いながら逝く
亡くなる1ヶ月前に最後の力を振り絞って亡き父を一生懸命探すたまちゃんですが、会えるはずがありません。
きっとたまちゃんは飼い主が迎えにきて、また幸せな日々が戻ると信じていたのでしょうね。
いつも窓から飼い主を探していたたまちゃんは
お利口にしてたら迎えにきてくれるかなぁ。
頭をなでなでしたがら「たまちゃんはお利口だからもうすぐ迎えにきてくれるよ」と私が声をかけると安心して、また眠りにつきました。
お盆が過ぎるころたまちゃんは、とうとうお水を受け付けなくなり、体が旅立ちの準備をしていました。
立てないはずのたまちゃんが耳をピンと澄まし、ある方向にヨタヨタと歩いていったのです。まるで、父を見たかのように嬉しそうに見上げ赤ちゃんのように「みゃうみゃう」甘えた声で鳴いていました。
その瞳には死を目前にした恐怖心のかけらも見当たりませんでした。むしろ心地さを感じてたようです。
もしかしたら人間が死の間際に経験するお迎え現象が猫にもあるのかもしれません。
もうすぐ迎えにきてくれるみたい。
その翌日、たまちゃんは安心したのか父が本当に迎えにきたのかわかりませんが安らかに逝ってしまいました。たまちゃんは亡くなっているようには見えず「我が家にきて初めて見せた安堵の表情」。
たまちゃんにとって大好きな飼い主がいない世の中は延命して生き延びたとしても寂しく幸せではなかったのだと思います。
令和1年8月18日たまちゃん亡くなった父の元へ、虹の橋で元気になった父が嬉しそうにたまちゃんを迎えにくる姿が目に浮かびます。
迎えにきたよ。
さみしかったんだから。
もう離れないよ。
普通とは逆だけど寂しがり屋の父を心配したたまちゃんが飼い主を先に看取ったのかもしれません。とても心優しい猫だったから。
また、会おうね!たまちゃん。私が虹の橋へ行ったらたまちゃん待っててくれてるかなぁ。