愛猫がリンパ腫かもしれない?その時家族はどうすればいいの【看取るということ】

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今回は家の子がリンパ腫かもしれない?病院嫌いで怖がりな「のあちゃん」と暮らしている飼い主さんからお手紙をいただきました。

私は我が家の猫ちゃんは大切な家族の一員だと思っています。なのでblogで子供と呼ぶこともあります。

熊谷さんの悩みは子供の命がかかっているので即答するのは難しいです。

なので私の看取り体験談を書かせてください。似たケースを体験しました。

きっと誰もが大切な人の命にかかわる決断をしなければならない時がくるでしょう。その時にこのblogを思い出してみてください。

とことん治療しても自然に任せても後悔はつきものです。

リンパ腫かもしれないという診断

難しいね

差出人: 熊谷 麻美
題名: 14歳女の子 リンパ腫「かもしれない」という診断

メッセージ本文:
はじめまして。
猫にとっての幸せな最期とは?病院との関わり方、猫にとっての幸せとは?などなど調べていたら、このブログに出会いました。

私が学生の時、道端でこの子と出会い、はじめてペットとして向かい入れ、今では愛する子どもでもあり、姉妹でもあり、親友でもあり、大切な家族の、のあちゃんについて書かせてください。

元々、病院が大嫌い、通院するための車も大嫌いな子で
一歳の時にした避妊手術と何回かのワクチン、
うっかり外に出してしまって野良猫とケンカをし、手と背中を怪我した時、膀胱炎になってしまった時以外
病院には通っていない子です。

とても神経質で、極度の怖がりで、車に乗っただけで口呼吸になり、病院では見たことがないほど獣医師さんを威嚇し、ずっと興奮しっぱなし。

そんなのあちゃんですが大きな病気はせず、14歳を迎えることができました。
しかし去年の11月、ご飯を食べなくなり
明らかに元気がなくなってしまい、病院に連れて行きました。

病院では血液検査とエコー検査をしましたが、肝臓の数値が悪いのと、脾臓が猫にしては大きい、形がボコボコしている。と言われ投薬で様子を見ることになりました。


薬が切れたタイミングで嫌がるのあちゃんを病院へ連れて行き、その度にこれで最後にしようと思いつつも、獣医師の方にもう少し薬を飲んだ方が良いと言われると、それがうちの子にとっての最善なのか。と思ってしまい、嫌がる本人をよそにズルズルと通っています。

肝臓の方は薬でだいぶ数値が落ち着いたのですが、食べているのに体重減少が止まらないことから
先日、脾臓に針を刺して行うガンの検査をしました。
その結果が、リンパ腫の可能性が50%。というものでした。
きちんとガンかどうか知るには脾臓を全摘出し、病理にまわしてからしか出ないと言われました。


獣医さんは、脾臓は摘出しても問題ない臓器で、手術も難しいものではないというのと、もしリンパ腫だったら本人の体調の悪さも取ってしまった方が楽だと、全摘出を勧めてきました。
今やるなら、延命治療ではなく、根治治療だと言われました。
しかし、リスクとしてはお腹を開いてから他の臓器にガンが転移していれば、結局抗がん剤治療をしなければいけない。
また摘出してみて本当に何も問題のない脾臓だったという可能性もあるとのことでした。

私としては「かもしれない」で手術をするのか?14歳で体重も減ってるこの子に手術が耐えられるのか?
そもそも通院だけでとてもストレスなのに、したことのない入院を今させるのか?


でも、もしリンパ腫だったら現に体重も減っているし、あっという間にお別れがきてしまう。取れば今の体調不良が良くなって、もっと一緒にいられるのか。延命ではなく根治治療になるのであれば、例え50%の確率でもやるべきなのか。
と、ゆらゆら心が揺れてしまいます。

元々この子に何か大きな病気が発覚しても、自然に任せてお家でゆっくりさせよう。この子の嫌なことはしない。少しでも穏やかな時間を過ごしてもらおう。
と決めていたのに、いざ体調を崩し、痩せ細り、ましてやガンかもしれないと言われると決心が鈍ってしまうのです。

一緒に大人になってきて、いるのが当たり前で、色んなネット等見ると何匹も猫ちゃんを飼っている方が多い中、
私はこの子だけなんです。冒頭に家族と書きましたが、家族以上の存在なんです。

答えなんてどこにも無いのは知っていて、自分が決めたことを信じて強くいなければならないのは分かっているのですが、
ついこのブログを読み、藁にもすがる気持ちで今メッセージを書いています。
猫にとって、治療が苦痛でしかないのは重々承知です。
でも手術をして猫が少しでも楽になり、根治治療の可能性が高いのならやるべきなのでしょうか?
それとも、お家で残りの猫生を自然に任せて見守るのが正解なのでしょうか。猫にとっての、幸せとは何なのでしょうか。

こんなことを聞いてしまってすみません。また殴り書きの文章ですみません。
ご回答いただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

お手紙何回も読みました。かもしれないということは手術してみないことにはわからないということですよね。

私なら、すごく悩みます。

やはり年齢が高いから手術するデメリットも大きいからです。

体力って、とても重要でやせ細った体での手術は危険も伴い、猫として生きる気力がなくなってしまうかもしれないんです。

延命でなく完治を目指しての手術だとしても開いてみないとわからないんです、ガンって本当にやっかいですよ。

でも手術して完治するかもしれない…ここは神さまのみが知る領域で誰にもわからないです。

あとは家族の直感を信じるしかありません。下の記事は私の体験談です。

家族が肺ガンに完治を目指して高齢でも手術をしました

私の父は「病院」って聞くだけで、血圧があがるほど病院嫌い。

病気一つせず元気に暮らしていました。ある日突然、貧血で倒れ

救急車で病院に運ばれたんですが、入院先の病院で「肺に影がある、精密検査が必要」と言われ、大きな病院で初期の肺ガンと診断されたんです。

色んな検査をして、体力もあるので完治を目指して手術しましょ。と医師は手術を勧めました。

父は顔を曇らせ…「失敗するような気がする」とひとこと呟いて拒否。

娘の私としては医師の手術さえすれば完治できる!という言葉を信じて、少しでも長生きしてほしい

どんな形でも生きていてほしい

そんな思いでいっぱいでした。

強い口調で私は父に「そんな子供みたいなこと言わないで!手術さえすれば完治するんだから」と嫌がる父を説得して本人の意志とは裏腹に肺ガンの手術をしました。

手術したあと抗ガン剤治療をして定期検診しながら完治した元気な父を思い浮かべながら手術当日、待ち合い室で待ってたんです。

数時間後、家族に話しがあると手術室から医師が出てきて「胸を開いてみてみると、悪性度の高い小さな進行性のガンが見つかりました、閉じようと思ったのですが完治を信じて切除しました!術後抗ガン剤治療を頑張りましょう」と言いました。

その場で私は嫌な予感がしました。後ほど余命宣告があり、抗ガン剤治療をしても余命プラス3ヶ月しか寿命が延びないとのこと。

病院嫌いの父はその後、人が変わってしまい笑顔が消えてしまいました。

その後、抗ガン剤を拒否!通院も拒否して病院の先生を恨んでしまいました。

もちろん、病院の先生が悪いわけではなく

自分の意志とは関係なく手術したことを後悔したようです。

亡くなる1ヶ月前までは病院にかかりませんでした。

やはり本人が望んで治療したのと、意志に反して治療するのは天と地ほどの差がありましょう。

本人が治すぞ!という気力がないと高齢になっての手術はとても辛く、生活の質が落ちてしまったようです。

父は病気になって寿命が縮んでも

人間らしく、自分らしく生きたかったようです。

そんな大切なものを奪ってしまって、ごめんなさい、お父ちゃん。このことは今でも後悔しています。

私は父がどんな姿でも生きてほしかった。でも父は不自由な体になって生きたくなかったんです。

きっと、あの時手術しなければ不自由な体になっていなかったと思います。

本人の意志と関係なく治療するということは、大切なものを奪うことを意味します。

最期は入院を拒み、在宅医による自宅療養に切り替えました。

もっと延命できる入院の方が家族としては良かったのですが、父は今まで見たことのない笑顔で満足そうでした。

食べたいときに食べて、眠りたいときに眠る

話したい時に側に家族がいる。

自宅療養で元気になった父…。

このまま、良くなるのではないかと思ったのですが、呼吸が不規則になりお迎えが近くなったので医師が

医師「そろそろ入院しましょうか」

父「病院は勘弁してください」

医師「娘さんに迷惑かかりますよ、いいんですか」

父は無言で頷きました。

看取りには相当な覚悟がいる、医療従事者でも慣れないことを家族のことを心配していました。

私「私が看取ります、お父ちゃん家におってもええねんで」

父は涙をこぼして喜んでいました。今でも、その時の笑顔は忘れません。

そして、父と抱き合って泣いていると父が「何も心配するな大丈夫やから、泣くなよ!馬鹿だなぁ」と泣いている私を慰めてくれました。今ではいい思い出です。

しばらくしてから…父は眠るようにきれいな体でこの世を去りました。

自然に枯れるように逝くというのはこんなにも穏やかなんだなと感動したものです。

なので私はこの看取りblogを立ち上げました。少しでも知ってほしくて。

もちろん、治る病気なのに放置ではなくて、色んな形で医師にかかりつつ最期を迎えるのが理想だと思います。

本人の意志に反して治療するのはデメリットがあるということなのです。

自分らしく最後まで生きるのが自然なのではないでしょうか。

最後に

急いで記事を書いたので誤字脱字があったらごめんなさい。

のあちゃんの飼い主さん、のあちゃんはどんな子ですか。

自分らしく生きたい子ですか。

慎重に、どの選択肢がのあちゃんのためになるのか考えてあげてくださいね。

決断はほんとうに難しいです。

答えがでないので、私の体験談を話しました。参考になれば幸いです。

令和5年3月2日

ゆるりねこblog運営主にゃあこ

のあちゃんのその後

お返事ありがとう

差出人: 熊谷 麻美 
題名: 先日はありがとうございました。のあちゃんのリンパ腫について

メッセージ本文:
こんにちは。
先日14歳になる猫に、リンパ腫の可能性があると診断され、相談のメールを送らせていただきました。お礼が遅くなり申し訳ございません。その際、とても丁寧にご回答くださり、ありがとうございました。

あれから記事を何回も読ませていただき、それでも悩み、悩み、悩みぬき、
最終的に手術をしないことに決めました。

悩んでいる間、何日間かのあちゃんがご飯も一切食べなくなってしまい、このまま逝ってしまうのか?このまま看取ることはやっぱりできない。


これはもう手術をしてしまった方が私が楽だと考えてしまったり、絶対にしないと決めていた強制給餌をしてしまったり、それが苦しくなってはこのブログに戻ってきて、色んな記事を読み、また考え・・・と、とっても苦しい日々を送っておりました。

でもある日ふとのあちゃんを冷静に見てみると、驚くことに、決して苦しんでいなかったのです。


体調が良い日はバルコニーに出て日向ぼっこをしたり、一緒に腕の中でお昼寝をしてくれたり、おやつを2.3口食べてみたり・・・。

お恥ずかしい話ではありますが、悲観的になり、もがき苦しんでいたのは私一人でした。


のあちゃんは自分の体調に合わせて生きていて、とっくに順応していて、
「治そう」ではないのですが、「ただその日を自分の良いように生きている」という感覚を感じました。

のあちゃんの性格、前回ご回答いただいた内容等改めてじっくり考え、手術をせず
動物の生きる力にあとは任せて、人間の行き過ぎた医療で干渉しすぎず、私はその生活をサポートしようと心から思えるようになりました。(緩和治療は続けます)
病院や強制給餌など、そういうことをしている時の方がのあちゃんが苦しそうだと、ちゃんと気付けたからです。
本当にありがとうございました。

それからというもの、自分で少しずつご飯を食べてくれるようになり
昨日に至ってはいつもの倍の量を食べていてくれていました!

上がったり下がったりしながら、緩やかに体重も食事量も体力も落ちてきています。
いざとなれば手術をしなかった事を悔やんだり、自分を責めたくなったりすると思います。


でもあとどのくらいあるか分かりませんが、のあちゃんの残りの時間をのあちゃんのペースで大切に過ごしていきたいと思います。

前回相談させていただいた記事で、本人の生きる気力のお話をしてくださりましたね。
気付けば一時期、あんなに嫌がっていた病院に1か月に2.3回も連れて行っていました。
ご飯を食べなくなっていたのはそのせいなのかな、と考えてみたり。


これからは、治すことではなく、寄り添うことに注力し、出来るだけ穏やかに過ごしていきたいと思います。

決意ができましたので、ご報告まで。
本当にありがとうございました。

のあちゃんの飼い主さん、そう決められたのですね。

私たち飼い主の方がオロオロしたり、もがき苦しむんだけど、猫ちゃんは意外とマイペースに今を生きてるんですよ。

一生懸命…このときを

緩和ケアを続けつつ、穏やかで幸せな思い出を作ることに専念してくださいね。

私たち人間も一生のうち大切な事は

誰かを愛し、愛されることであります。

気恥ずかしい話しですが、この愛こそが

最期の苦しみ、さみしさ、不安、痛みを取り除くと言われています。

うまく言えないんだけど、愛し愛された思い出が人生の終わりを幸せな気持ちにかえることができるんですって。

そんなこと言われても、悲しいじゃないの!と文句のひとつも言いたくなるかもしれませんが

悲しみが深ければ深いほど、そこに愛が存在した証。とても幸せな日々を送っているということなんです。

なので、のあちゃんと飼い主さんはとても幸せなんだと思います。

愛する飼い主さんが側に居てくれるだけで、のあちゃんの生きる力になります。

側にいて見守ってあげてね。

どうか、自分自身も労ってあげてください。のあちゃんが悲しみますから。

お手紙何回も読みました。お手紙書いてくれてありがとう!

令和5年3月26日

のあちゃんのその後2

差出人: 熊谷麻美
題名: のあちゃんの看取りについて

メッセージ本文:
何度もメッセージを送ってしまい申し訳ございません。
以前のあちゃんの腫瘍について相談させていただいた者です。
いよいよなのか…という段階に来て、また迷ってしまい
メッセージを送らせていただきます。

実は前回メッセージを送った後、私が約1ヶ月間入院する事になってしまい、その間旦那さんにのあちゃんのお世話をお願いしておりました。
のあちゃんの性格上、今まで一日中私と過ごしてきたのに
いきなり夜しか帰ってこない旦那さんとの生活は寂しく、ストレスだと分かっていましたが、どうすることもできず…

私が入院してから食べるご飯の量が半分になり、
退院して家に帰るとビックリするほど痩せ細ったのあちゃんがいました。
もちろん旦那さんは一生懸命お世話をしてくれていました。

私が帰ったらまたご飯を食べてくれるようになる、また前みたいにたくさん一緒に過ごそう。
そう思っていました。

しかし現実は、ご飯を全く食べなくなってしまい、4日前から肝リピドーシスになるのを防ぐ為に強制給餌をしています。

そして昨晩、ぐったりしてまともに歩けなくなっていました。
脾臓にある腫瘍のせいなのか、肝リピドーシスを発症してしまったのか、ストレスなのか…治療して楽になるものならと思い今日病院へ行ってきました。

結果は、腫瘍が転移している影がエコーで確認でき、黄疸もあり、血液検査のほとんどの項目が異常ありで、
肝臓の数値も悪い、白血球も少ないし貧血もある、腎臓も良くないし、血糖値も低い…等々ぼろぼろの結果でした。
脾臓にある腫瘍に対して、抗がん剤等の処置をすれば良くなる可能性はあるが
白血球が少ないことからその薬の副作用に耐えられるか分からないと言われました。
病院で皮下点滴と、血糖値を上げる処置、吐気止めの注射など様々な処置をしてもらいましたが、帰ってきても体に力が入らない様子で、ぐったりしています。

病院の先生から、家でも皮下点滴をすると、本人が楽になると言われ、家で皮下点滴をするセットを貰ってきました。
しかしこのサイトに書いてあった、皮下点滴は猫を苦しめるという記事を冷静になって思い出した事、
また、今までと違って治療をして帰ってきても元気にならない事、それらを考えるとこの段階での皮下点滴や強制給餌は
緩和治療ではなく、延命治療になるのではないか、のあちゃんを余計苦しめるのではないかと立ち止まっています。

いざ、今まで見た事のない姿を目の当たりにすると
思考が鈍ってしまい、色々と手をかけたくなってしまいます。
何が正解か、冷静に判断ができなくなってしまいます…
ぜひアドバイスを頂けると幸いです。

まとまりのない文章で申し訳ございません。
よろしくお願いします。

飼い主さん自身が入院されたのですか。大変でしたね。

のあちゃんは飼い主さんを待っていたのではないでしょうか。

生きて会えて良かったですね。のあちゃんは、とても頑張っているんだなと思いました。

私は医師ではないので、ちゃんとお答えできるかどうかわかりません、あくまでも私の考えだと思って記事をお読みくださいね。

獣医さんは、のあちゃんの事は何と言っておられるんですか。

もう、何があってもおかしくない状態なら、今してる事は延命治療だと思います。

猫ちゃんは亡くなる前、とても痩せてきます。どんな治療をしてもぐったりしているのなら、治療の止め時かもしれません。

点滴で楽になるのなら、してみるのもよいですし

浮腫んでくるようなら、点滴も止め時でしょう。

私たち人間もこの世を去るとき、枯れ木のようになるんです。それは、しょうがないことなんです。

のあちゃんと過ごせる時間も、もうわずかかもしれません。

延命治療をやめるのも延命治療を続けるのも飼い主さん次第です。

どちらを選択しても、のあちゃんの側にいてあげてくださいね。

のあちゃんが見たことのない姿になって、とても混乱しておられる、冷静に冷静になって。

のあちゃんとの大切な時間を過ごしてください。

最期が楽になれるようにしてあげてください

令和5年5月26日

のあちゃんが虹の橋を渡りました

のあちゃん、また会おうね

■ お名前 のあ

■ 題名 ありがとう。本当にごめんね。

■ お問い合わせ内容

以前、愛猫がリンパ腫かもしれない。という内容で相談させていただいた者です。

その節はありがとうございました。

のあちゃんが先月の28日にお空に旅立ちましたので、またメッセージを書かせてください。15歳になったところでした。

去年の11月に脾臓に腫瘍があると診断され

約半年間、のあちゃんはすごく頑張ってくれました。

今まで、のあちゃん中心の生活で

寂しさが食欲に直結してしまうのあちゃんとの残された時間を出来るだけ沢山、大切に過ごしてきました。それは本当に幸せな時間でした。

しかし、私は妊婦でした。ずっと側にいたかったけれど、どうしても離れなきゃいけない期間がありました。

私自身体調を崩してしまい、4月末から約1ヶ月間入院をして、出産。赤ちゃんを連れて退院。

それと同時に里帰りをし、のあちゃんと赤ちゃんと3人で実家に帰ってきました。

のあちゃんが亡くなる10日前のことです。

実家にはのあちゃんも何年か住んでいたことがあるので

そんなにストレスなく過ごせるのではないかという思いと、

何より、もう寂しい思いをさせない為に一緒に帰ってきました。

でも実際は、初めての育児でてんやわんや。思っていた半分ものあちゃんとの時間を取れなかったと思います。

実家に帰ってきて2日間は元気に過ごしていました。

しかしその後ご飯を食べなくなり、元気もなくなり、亡くなる4日前にはほとんど歩けなくなっていました。

治療して治るものならと病院へ連れて行きましたが、血液検査の結果はほとんど異常値でした。

様々な処置をしていただき、帰宅しましたが全く元気にならず…。

獣医師さんの助言もあり、私はのあちゃんが亡くなる前日まで強制給餌をしていました。

亡くなる10日前に住んでいた環境が変わり、嫌な病院に連れて行かれ、強制給餌も…

結局最期まで頑張らせてしまったのです。

入院前から体重減少など、様々な終末期の傾向が見えはじめていたのに、一緒に暮らしていく中で、まだ大丈夫。ただの老化の可能性もある。まだ一緒にいられる。

最後の最後までそんな希望が捨てきれませんでした。

最終的に、悪性腫瘍から来る、低血糖で亡くなりました。

亡くなるまで40分ぐらいでしょうか。しゃっくりみたいな呼吸をし、最後は痙攣をしていました。

低血糖は脳にエネルギーがまわらないため、苦しくないと分かっていても

苦しそうに見えます。

のあちゃんには普段から、ずっと一緒にいようねと口癖のように伝えていました。

優しい子だったので、私が悲しむんじゃないかと最後まで頑張っているのではないかと思い

のあちゃん、逝けるなら逝っていいよと声を掛けた数秒後に、息をしなくなりました。

のあちゃんの枕にしていたタオルには痙攣の時に出たヨダレがたくさんついていました。

私は、なるべく楽に、自然にのあちゃんが最期を迎えられたらいいとずっと思っていました。

でもそれは私にとってはとても難しいことでした。

のあちゃんの為だと思ってしたことが、今となっては全て空回りだったなあと思っています。

不思議なことに、滅多に揃わない姉妹が

のあちゃんの亡くなる前日に揃い、みんなで見送れたことだけが唯一の救いです。

15年間、我が子のような、姉妹のような、親友のような、私の支えになってくれたのあちゃん。

まだまだ死を受け入れられません。

ただ、病気が発覚し、辛い時にこのブログを見つけ

看取りについて深く考えさせてもらい、にゃあこ様には沢山相談に乗っていただきましたので、報告をしたく、今メッセージを書いています。

相談をさせていただいた際に決めた、手術をしないという選択肢は今でも間違っていなかったと思えています。

本当にありがとうございました。

少しずつ、心の整理をしていきたいと思います。

熊谷

熊谷さん、妊婦さんだったのですね。もう少し、のあちゃんに生きてほしかったですよね。

私は看取りの事を書いていますが、奇跡がおきるといいのにっていつも思ってるんです。

熊谷さんを悲しませないように、のあちゃんも最後まで頑張ったんじゃないかな。

えらいね、のあちゃん。

最期はみんなに会えて大好きな熊谷さんが側にいたので、安心して、あちら側にいけたんじゃないかしら。

それが一番大切なことだから。

子供が居なくなったんですもの、しばらく辛いかもしれない。

このブログで、熊谷さんと出会ったのも何かの縁。

赤ちゃんが生まれたのだからお身体を大切になさってくださいね。

無理しないように、自分を責めないでください。

のあちゃんのためにも

辛いのにお手紙ありがとう。

看取りって難しいねぇ…。

令和5年6月1日

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