本ページはアフィリエイトによる収益を得ています

お買い忘れはありませんか?
Amazonペット用品
SHARE:

看取りのごはんと向き合うということ

看取りのごはんと向き合うということ

こんにちは!にゃあこです。

ここでは、
看取りの時間にいる猫の「食事」と、
そのそばにいる飼い主の心のあり方について、
少し踏み込んでお話しします。

病気や年齢が進んで、
「もう長くないかもしれない」と感じる頃。

多くの飼い主さんが、
「食べてくれない」という現実と向き合うことになります。

そこには、正解といえるひとつの答えはありません。

だからこそ、何が良かったのか、何を選ぶべきだったのか、自分を責めるほど悩んでしまうテーマでもあります。

「どうするのが正解?」が
あなたを追い詰めてしまうとき

猫がごはんを口にしなくなると、
頭の中は一気に「対策」でいっぱいになります。

・今のフードを見直した方がいいのかな
・もっとおいしいものに変えた方がいいのかな
・強制給餌を始めるべき?
・流動食にしたら楽になる?
・鼻カテーテルや胃ろう(栄養チューブ)を選んだ方がいい?

ネットで調べると、
どの選択にも「良かった」という声と「後悔した」という声が
両方出てきます。

獣医師に相談しても、
「こうしましょう」ときっぱり決めてもらえることもあれば、

「その子の性格や、あなたの価値観にもよりますね」と、最終的な選択をあなたに委ねられることもあります。

誰かに「これが正しい」と背中を押してほしいのに、はっきりした答えは見つからない。

そうしているうちに、
気づけば一日中、頭のどこかで

「どの選択が一番、この子のためなんだろう?」

と考え続けて、心も体もすり減っていってしまいます。

まず知っておきたい「体の仕組み」
弱った猫は、自然と「食べなくなる」

ここで、少しだけ冷静な話をします。

看取り期、あるいは介護期と呼ばれる時期の猫は、病気の進行や老化によって、
体がゆっくりと「終わりの準備」を始めています。

その過程で、

  • 消化する力が落ちる
  • 腎臓や肝臓の働きが弱くなる
  • 体を動かすエネルギーをあまり必要としなくなる

こうした変化が起こると、
「食べたい」という欲求自体が小さくなっていきます。

つまり、

「介護期の猫は、食べなくなるもの」

これは冷たい言い方ではなく、からだの仕組みとして、
ある程度「自然な変化」だということです。

私自身も、そのことを頭では理解していませんでした。

食べなくなったあの子のために、
少しでも体にいいもの、
少しでも好みに合いそうなものを探して、

ドライ、ウェット、
パウチ、ペースト、スープタイプ、

通販で取り寄せた療法食や、
ヒューマングレードのおやつまで、

気づけば部屋の一角が、
ほとんど「フードの展示コーナー」みたいになっていました。

「これなら食べてくれるかもしれない」

その望みにすがるように、ひとつ試しては、また別のフードを開ける。

棚には、ほとんど減っていない袋や缶が並び、
空き箱だけが増えていく。

それでも食べない。

小さくなっていく体、
減っていく体重、
それに反比例して増えていく不安。

あの時間は、思い出しても胸がぎゅっとするくらい、しんどいものでした。

「食べない」の裏側にあるかもしれないこと

今、少し距離ができたところから振り返ると、
見えてくるものがあります。

あのときのあの子は、たぶん、

  • 常に吐き気がしていたのかもしれない
  • 口や歯、胃腸のどこかに痛みがあったのかもしれない
  • ただ横になっていたいほど、体がだるかったのかもしれない
  • においだけで気持ち悪くなってしまっていたのかもしれない

人間だって、高熱やひどい胃痛で苦しいとき、「しっかり栄養つけないと!」とお皿を口元に押し付けられたら、ありがたい気持ちより、つらさの方が大きいかもしれません。

猫も同じです。

「食べない」のではなく、
「食べられない」状態になっていることが、本当はとても多いのだと思います。

ここを知っておくと、「食べさせられなかった自分」を少しだけ許せるようになる人もいるかもしれません。

それでも、ときどき見せてくれる
「自分から食べる」という意思

不思議なことに、
どんなに弱っていても、

「もう、この子は何も食べないかもしれない」

と感じたその日に限って、ほんのひと口だけ、自分から口をつけることがありました。

強制給餌に私が疲れ切って、ふと力が抜けて、

「今日はもう、無理に食べさせなくていいや。
 お皿に少しだけ置いておいて、
 もし食べたかったら食べればいい」

そう思って、テーブルの隅に少しだけごはんを置いたとき。

しばらくしてふと見ると、
あの子がよろよろと近づいてきて、自分の意志で、
少しだけ、ちいさく舌を動かしていた。

「食べなきゃ」ではなく、
「今なら、少しだけ食べてもいいかな」

そんなふうに、その子のペースで選んだひと口。

その姿を見た瞬間、「あ、まだこの子は、生きるリズムを自分で持ってるんだ」

そう感じて、胸の奥が、少しだけふっと軽くなりました。

私が「させる」食事ではなく、
その子が「選ぶ」食事が、たしかにそこにあったからです。

「頑張らせよう」とするほど、
関係がきしんでしまうこともある

一方で、私の中の「この子に生きてほしい」という気持ちが、ときどき暴走してしまうこともありました。

注射器での強制給餌、口を開けさせて流し込むペースト、タオルでくるんで動けないようにして与える栄養。

どれも、「この子のため」と思ってやっていました。

でもある日、ごはんの準備をしようと台所に立ち、器や注射器の音をさせただけで、あの子の体が、わずかにこわばるのが見えました。

私が近づくと、
少しだけ身を引くような、
目線をそらすような、
そんな仕草をするようになったのです。

その瞬間、胸に浮かんだのは、

「あれ……もしかして今の私、
 この子にとって“怖い人”になってる?」

という、鋭い痛みでした。

ずっと信頼してくれて、ずっと甘えてくれていたはずの存在なのに。

撫でてほしいときにはお腹を見せてくれて、一緒に眠るのが当たり前だったのに。

「ごはんの時間」が、
あの子にとって「嫌な時間」に変わりつつある。

それは、栄養を摂らせることよりも、もっと深いところで、私を大きく揺らしました。

「してあげるべきこと」から、
「してあげたいこと」へのシフト

そこから、
私は一度立ち止まって考え直しました。

それまではずっと、

この子のために私は何をしてあげるべきなんだろう。

と自分に問い続けていました。

「べき」という言葉には、どこか義務感や正解探しの匂いがつきまといます。

その問いは、確かに一生懸命さの証でもあるけれど、同時に、自分を追い詰めてしまう刃にもなり得る。

そこで、問いを少し変えてみました。

私は、この子に、何をしてあげたい?

正しさではなく、「自分の心が本当に望んでいること」に目を向けてみたのです。

すると、浮かんできたのは、意外なほどシンプルな願いでした。

  • 痛い思い、怖い思いは、できるだけ少なくしてあげたい
  • なるべく嫌がることはしたくない
  • 最後まで、「あなたが大好きだよ」と伝わる時間を増やしたい

それは、「一口でも多く食べさせる」こととは、
少し違う方向を向いていました。

私が選んだ答えは、世界にひとつの「この子との答え」

最終的に私が選んだのは、

「その子が嫌がることは、
 できるだけ手放していこう」ということでした。

強制給餌の回数を減らし、
「どうしても嫌がる日は、無理をしない」と心に決める。

食べる量よりも、

  • 隣で一緒に横になる時間
  • 撫でて、毛づくろいみたいに手ぐしで整えてあげる時間
  • 小さく話しかけながら、ただ見つめ合う時間

そういう「栄養とは別のもの」を少しずつ、大事にしていきました。

正直に打ち明けると、
今でもこれが「医学的に正しい選択」だったかどうかは、わかりません。

もっと食べさせていれば、
もう少し長く一緒にいられたのかもしれない。

あのとき栄養チューブを選んでいたら、状況は違っていたのかもしれない。

そんな「もしも」は、今でも頭をよぎることがあります。

でも、あのときの私には、

  • あの子が顔をしかめるくらいなら、その一口は諦めたい
  • 少しでも、私のそばが「安心できる場所」であってほしい

そう思ってしまった。

その気持ちに、今の私はそっと寄り添ってあげたいと感じています。

「頑張る」と「手放す」
どちらを選んでも、間違いではない

看取りの時間にできることには、どうしても限りがあります。

だからこそ、

  • あと一日でも長く生きてほしいから、できる治療や栄養のサポートを続けようと決めること
  • これ以上つらい思いをさせたくないから、無理なことから少しずつ離れていこうと決めること

どちらの選択も、本来「間違い」ではありません。

ネットには、さまざまな体験談や意見があふれていますが、そのどれもが、「その人と、その子だけのストーリー」の中で選ばれた答えです。

一番長くそばで見てきたあなたが、悩んで、泣いて、考え抜いた末に選んだこと。

それこそが、その子にとっての「たったひとつの正解」になっていきます。

「もっとこうしていれば」と思う気持ちも、「あのとき頑張らせすぎたかもしれない」という後悔も、全部ひっくるめて、それがあなたとその子の「最後の時間」になります。

先住猫たまと過ごしたあの時間を、
今の私がどう受け取っているか

今でもふと、あの頃のことを思い出す瞬間があります。

空になった小さな器、
片付けられずに残ったフードの袋、窓際のいつもの定位置。

あのとき、別の選択肢を取る未来も、確かにあったのかもしれません。

でも、

  • 迷いながらも、何度も背中を撫でたこと
  • 「今日も一緒にいてくれてありがとう」と小さな声でつぶやいたこと
  • 眠るように呼吸が浅くなっていくたまの体温を、最後まで手のひらで確かめていたこと

その一つひとつは、
どんな選択をした世界線の私にも、きっと変わらずにあっただろうと思うのです。

だから、今の私は、こう感じています。

あのときの選択がどうであったとしても、たまと過ごしたあの看取りの時間は、たしかに「愛そのもの」だった、と。

そして、今まさに同じような時間を過ごしているあなたにも、どうか、そのことを心のどこかで信じていてほしいと思っています。

あなたが迷いながらも選んだ「ひとつひとつ」が、
その子にとっての、かけがえのない愛のかたちです。

この記事が気に入ったら
フォローしよう
最新情報をお届けします
あなたへのおすすめ
腎臓病の猫ちゃんに優しいおやつ
ねこり
腎臓病の猫ちゃんに優しいおやつ
ねこり