はなちゃんが虹の橋へむかいました。心よりご冥福をお祈りします。
飼い主さんが写真を添付してくれたので、はなちゃんが生きた証として写真はブログに掲載させてください。
名前 はなちゃん
享年14歳
令和4年5月に虹の橋へ
はなちゃんの飼い主さんからのお手紙
■ お名前 はな
■ 題名 愛猫の最期
■ お問い合わせ内容
こんにちは。
先月、愛猫のはなが、14才11ヶ月で旅立ちました。
その事について、少しお話しさせていただきたいと思い、この場を借りて失礼させていただきます。
2年以上前、愛猫のはなが水ばかり飲んでご飯を受け付けなくなり、次第次第に元気をなくしていってしまいました。病院に連れていくと、慢性腎不全だと告げられました。薬をもらいましたが、はなは、二日目以降どんなに工夫しても薬の入ったご飯を受け付けず、薬は諦め、今度は気配を察するのか、病院に行くときはベッドの下に逃げ込み、病院の予約をキャンセルしたことも何度かありました。
それでも、何とかつかまえて病院に行けた日でも、声が枯れるまでずっと病院で鳴き続け、胸が痛みました。
もう、嫌がるはなをこれ以上苦しめたくないと思い、通院は止めました。
潮の満ち引きのように緩慢を繰り返しながら、何とか小康状態を保っていましたが、次第にはなは更に食欲がなくなり、私の膝の上で小さく丸まっていることが多くなりました。時折私を見上げ、力なくみゃあと鳴くはなを見ていると、死ぬにはまだ早い、何とかしなければという思いが勝り、一時期の半分の2kgを切った小さなはなを抱き抱え、キャリーバッグに入れて動物病院に走りました。
今考えると、この時はもう、抵抗する力もなくなっていたんだと思います。
結果、この行為がはなに余計辛い思いをさせてしまったのだと、今では後悔しています。この病院のあと、こちらの記事に出会いました。もうこれ以上はなを苦しめたくない、愛するはなを自然なかたちで見送ってあげたい、そうこちらの記事を読んで確信することができました。
そして、この記事で教えていただいた通り、はなのそばにずっといてあげることにしました。
愛する猫を看取ることは、何にもまして辛いことです。私自身過去に身内を看取りましたが、しかし動物は言葉を話せません。自分に何ができるのか、言葉を話せない猫に何をしてあげられるのか、それでも気持ちがぶれることがありましたが、しかしそれよりももっと大きな、生き物としての本質的なものを、はなは残して旅立って行きました。
やっと気持ちが落ち着いてきたので、少しお話しさせていただきました。同じ悩みを抱えてる、またはこれから抱えるかもしれない、そして私もその一人でした。今は、病院に無理やり連れていったことは後悔していますが、最期ずっと一緒にいて愛するはなを看取ってあげられたことは、後悔していません…本当にこのブログに出会えたお陰です。
ありがとうございました。長文駄文失礼致しました。
(写真ははなの最期の写真です。目に涙が光っていました…)
はなちゃんの飼い主さん、お手紙をくださりありがとうごさいます。闘病中の飼い主さんの励みになります。
愛猫のはなちゃん、慢性腎不全でご飯を受け付けない状態から2年以上も生きたのだから飼い主さんは、良い治療をしてきたのではないでしょうか。
猫ちゃんの気持ちを最優先にすることは、なかなか難しいことです。
私は飼い主さんが決めた治療方針は、その時の最善の治療だと思っているんですよ。猫ちゃんの状態を誰よりも知っている飼い主さんが決めるからです。
心を鬼にして猫を病院に連れていくこともあり心を痛めることもあったと思います。
自然に任せても
最善の治療をしても
猫が亡くなったあと「もっと、してあげれることがあったのではないか?苦しめたのではないか」と後悔の波が押し寄せてくるんです。
愛する猫の看取りは辛い、看取る側の心の回復にはは2~3年かかるので自分の心と体をいたわってあげてください。
お互いぼちぼち生きていきましょう。
お手紙ありがとうございました。
急いで書いたので乱筆、誤字脱出お許しください。
終末期は何もすることがない
実は終末期にできることは側にいてあげることだけで何もすることがありません。
坂道を転がるように悪い状態になって回復することがなくなり
動物が
これらは自然な現象で生き物は楽に逝けることを知っているから。
看取る側からすれば、する事が無く手持ち無沙汰になり落ち着か気持ちになるんです。
この時飼い主は
「もっと治療すればいいのではないか、他にすることがあるはず」
迷いが生じます。
この治療が猫のためではなく、飼い主自身の不安を鎮めるための治療になってないか、よく考えてみましょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
令和4年6月24日
ゆるりねこblog運営主にゃあこ