あいさんからお手紙いただきました
初めまして、あいさん。お手紙を読ませていただきました。
あいさんは獣医師に恵まれていますね。
せっかく今まで通院せずにノーストレスで、過ごせてきたのに最後に無理やり連れてくるのも
この子にとって酷かも
飼い主さんにはっきり言ってくれる獣医師は少ないです。そう、思っていても
病院に行かず、在宅で頑張ってこられた。それは、すごい事だと思いますよ。
そのおかげでレオちゃんはすごく長生きして、自然に猫らしく暮らせたんです。
私も最期に病院に連れていくのは、レオちゃん辛いんじゃないかなと思います。
最近、友人の猫ちゃんも糖尿病で、腎臓も悪く
こまめに病院に通ってたんですが、老衰には勝てませんでした。無理やり食べさしても、元気にならなかったです。
終末期だから食べなくなる、当たり前の事なんですね、私も食欲のでる薬を塗って、一時的に食べたとしても…どうなんでしょう。飼い主の自己満足かもしれませんね。
動物という言葉は使いたくないけど、健康でないのに生かされるのは動物にとって、かなり不自然なことだそうです。
それでも家族なら
もっと生きててほしい
別れの恐怖といいましょうか、もう二度と愛する家族に会えないんだ
なんとも言えない怖さがありますよね。
この感情は、私たちが死ぬまで続くんじゃないかなと思います。今いる家族との別れもいつかは経験するんです。
私も怖いです。特に幸せに暮らした家族との別れは
このお手紙を読んで病院嫌いの父を思い出しました。
病院で余命ゼロだった父は「家に連れて帰ってくれ」と涙を流しました。
父がそこまで言うのなら最後は家での看取りを決めて連れて帰ったのですが
なんと奇跡的に回復して1ヶ月近く生きました。
家族の手を借りてやっと立てるぐらい弱ってました。
這って好きな場所にいったりして、食べたくない時は食べず、好きなものを食べていました。家ではすごく幸せそうでした。
病院嫌いの人は治療しても命が縮まるのかもしれせんね。
その1ヶ月間、父は幸せだと言っていました。余命わずかでも家族が側にいるから
とうとう、呼吸困難になり、不規則に
私としたことが入院させようとしたのです。やっぱり奇跡がおきてほしいし、もっと生きていてほしいから。
だけど父は在宅医に「病院には行きません、勘弁してください」とハッキリ断ったのです。
今から考えると私は馬鹿な娘でした。せっかく、家でノーストレスに過ごしていた父に対して、最期は嫌いな病院に入院させようとしたのだから。
父は亡くなる寸前まで「家族の側にいたい」が希望であり安心感があったらしいです。
その日の朝方亡くなった父の顔は幸せで、安らか、まるで眠っているようでした。
レオちゃんも、そうしてあげてください。
飼い主さん、怖さもあるかもしれないけれど、大丈夫ですよ。
レオちゃんもそう遠くない日に、その時がくると思いますが
レオちゃん、精一杯生きてください。
レオちゃんの家族と幸せな時間を過ごしてください。それが一番の宝物です。
令和5年8月22日
レオちゃんのその後
あいさんの決断は間違ってないと思いますよ。周りの環境とレオちゃんの環境は違うと思うし、治療方針は猫それぞれ。
看取りの覚悟を決めるのは、
- 食べない
- 飲まない
この時期です。
看取りが近くなると全く食べません。食べなくなり足腰も弱ります。
そして最後は水を絶ちます。
口から水を飲む場合は、水分バランスがとれているといえましょう。
やっぱりね、自然に任せようが、とことん治療しようが、その時がくると
麻痺も起こすし呼吸困難になります。
寝たきりの期間は自然に任せると少なくなります。延命すると少し長く生きれるけれど、苦痛が増す場合もあります。
愛する家族のそんな姿を見て、平気な人はいないですよ。怯えるのが普通です。
私もね、慣れないですよ。
点滴のメリットとデメリットは獣医さんに聞いておこう
終末期の点滴は難しく、ちゃんと猫ちゃんにあった量でないといけません。
レオちゃんの場合は身体の状態を調べることが難しいですよね。獣医さんも、そこを心配しているんじゃないでしょうか。
専門の医師が書いた点滴についての文章を参考にしてね。
患者・家族が「食べられないから点滴をしてほしい」という気持ちを持つことは当然であり、「点滴をしてもらえている」ことで安心感につながることは多い。輸液のメリット・デメリットを患者・家族に伝え、また、輸液はいつでも中止、再開することができることも説明することも重要である。
食べられかいから飲めなくなったから点滴をしてほしいと思うのは当然なんですが、飼い主を安心させるための治療になってないか
注意が必要です。
脱水傾向になると意識レベルが低下し、幸福ホルモンがでて楽に過ごせるんです。そこに輸液で水分を入れてしまうと、意識がはっきりして苦痛を感じて、猫ちゃんを苦しめてしまうんですね。元気になったように見えるんですが…
点滴はいつでも止める事ができるので、悪くなったら止めればいいんです。
体に溜まった水は、点滴を止める、水分をとらなくなると消えていきます。生き物の身体はうまくできているんですね。
輸液療法は日常診療において欠くことのできない治療法である。輸液を分類すると、電解質輸液、栄養輸液とその他(血漿増量剤等)の3つに大別することができる。
急性期の病的な状態に対する輸液は効果が大きく期待できるが、終末期の患者に対する輸液は必ずしもそうとは限らない。
がんの末期などで体の中の細胞が水分を取り込めない状態が生じやすく、輸液をおこなうことで浮腫や胸腹水、気道分泌物の増加などが起こり、患者への負担が大きくなる可能性もある。
輸液をおこなうことにより、患者の治療目標へどう影響するのかを包括的に考え、輸液のメリット・デメリットのバランスを考慮し、治療目標を決定していくことが重要である。
例えば、生命予後1か月程度の消化管狭窄、閉鎖などにより十分な経口摂取が出来ない終末期がん患者に対し、総合的QOL改善の目的として、標準的な体格の患者(身長160~170㎝、体重50~60㎏、60歳代)であれば、500~1000ml/日の輸液が最も推奨されている。
また、がんの発生部位により経口摂取ができない患者に対し、活動量にあわせた輸液をおこなうことで、身体が衰弱するのを改善することができるといわれている。
他にも、適切な輸液療法は、脱水や薬剤性によるせん妄に対して、蓄積した薬剤の排出や電解質バランスの補正などを通じて、症状が緩和され、QOLの改善につながることもある。
患者・家族が「食べられないから点滴をしてほしい」という気持ちを持つことは当然であり、「点滴をしてもらえている」ことで安心感につながることは多い。輸液のメリット・デメリットを患者・家族に伝え、また、輸液はいつでも中止、再開することができることも説明することも重要である。
輸液は単に「食べられないからする」、「終末期だからしない」ではなく、患者・家族の精神的側面や価値観に基づいた全般的な治療の目標が一致していることが大切である。そのため、医師が単独で決定するのではなく、患者・家族と相談し、治療を実施していくことが重要である。また、輸液をおこなう場合、『期待された効果が得られているか』を定期的に評価し、必要に応じて方向性を修正していくことも重要である
https://jtca2020.or.jp/news/cat3/infusion/
点滴の弊害は、がんの末期などで体のなかの細胞が水分を取り込めない状態(がん性悪液質)で生じやすい。 体そのものが水分を吸収できない状態になっているにもかかわらず、点滴により強制的に水分を入れることで、腹水や胸水、むくみが増え、呼吸が苦しくなるなどの辛い症状が出やすくなる
看取りの最終段階に入ってくると、体は脱水傾向になります。
実はここで点滴を行うことはデメリットが多くあり、一見、回復したように見えても本人自体は苦痛を伴っていることが多くあります。
食事が入らなくなるのは、体が栄養を十分に吸収できなくなるため、また少しでも体力を温存するために受け付けなくなります。
最期を迎える体の準備をしているのです。
そのため脱水傾向のままの方が、意識レベルも低下し幸福ホルモンの影響も受けて安楽に過ごせるという研究者もいます。
しかしこの段階で点滴をしてしまうとせっかく体の準備をしているところに、水を入れてしまうと意識レベルが改善されて、元気になったように見えます。
ところが本人にとっては苦痛をはっきりと感じてしまい、また点滴で入れた水分を処理しきれず、腹水や胸水、全身の浮腫などにつながってしまいます。
終末期における輸液および人工栄養の是非に関するご質問に回答します。がんの終末期において過剰な輸液を行うと、余命を短縮し苦痛を増すことは多くの論文で報告されてきました。したがって,どの時点まで水分・栄養補給を行うかは重要な課題です。また、がんの終末期にブドウ糖依存性の高カロリー輸液を行うことはがん細胞に栄養を与え、その結果、死期を早めることを知る必要があります。
一方、石飛幸三医師は特別養護老人ホームにおける胃瘻の多さへの疑問から、老衰や認知症の終末期を自然な経過に任せる「平穏死」を提唱されました。私も「平穏死」という言葉がタイトルに入った一般書や専門書を数冊書いてきました。
平穏死を一言で言うと、「枯れる」ことです。がんでも認知症でも老衰でも、終末期の過剰な輸液は、心不全や肺水腫による呼吸困難をきたします。医療者がそれに気がつかず大量の酸素吸入を行うことが多いのですが,点滴だけでなく酸素吸入も不要であると考えます。「枯れる」ことのメリットを理解し、「待って見守る」ことができる医療者がいてこそ、平穏死、すなわち穏やかな最期がかなうのです。詳細は自著『犯人は私だった! 医療職必読! 「平穏死」の叶え方』をご参照下さい。
一方、がん患者だけでなく高齢者においても余命があると考えられる場合、サルコペニア対策が謳われています。平穏死という概念は決してそれを否定するものではありません。ただ、どこまでが治療期でどこからが終末期なのかの判定が臨床現場では難しいことが多く、最期の最期まで過剰な輸液が行われてしまうことがあります。
終末期は医療者が判定してきたのでしょうが、今後は患者さんの気づきをベースにした多職種での複数回の話し合いで意思決定支援を行うべきでしょう。すなわち,終末期の判断はアドバンスケアプランニング(advance care planning:ACP)に含まれるプロセスと考えます。その土台に早期からの緩和ケアが必要であることは言うまでもありません。
在宅医療の現場では過剰な点滴を行わないことが多いです。しかし点滴がゼロの場合、家族が「餓死させた」というトラウマを背負うことがあります。特に日本では、「点滴文化」が根強いと思います。したがって、終末期の点滴はするかしないかの二者択一ではなく、患者や家族との十分な話し合いの中で決めるべきでしょう。
筆者は、高度な腹水や胸水がある場合を除き,終末期に200mLの点滴を行うことが多くあります。それで家族が「最期まで医療を施された」と納得される場合も少なくありません。しかし、亡くなる1〜2日前には自然に止める場合が多いのです。終末期の医療は理屈では割り切れないことが多いので画一的に考えず、十分な話し合いで納得・満足が得られる医療を提供すべきと考えます。
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3457
日本緩和医療学会の「終末期がん患者の輸液療法に関するガイドライン」では、推定余命1カ月以内の終末期癌患者に対する輸液での水分投与について、「それだけでは必ずしもQOLの改善や症状の緩和に役立たない」としている。
終末期では、ある程度、体力がありそうでも1日500mL、体力がなさそうであれば1日200mLを目安に維持輸液を投与することを愛和病院副院長の平方眞氏は勧めている。
少量から開始して喘鳴などの悪い反応がなければ継続。浮腫や胸腹水の増加、喘鳴や気道分泌物の増加など水分過剰徴候が生じたら、水分を受け止められない状態であると判断して補液を減量するか中止する。
輸液量を絞る上で最も大事なことは、患者とその家族に輸液量を絞ることが最善の選択肢であると説明することだ。
平方氏は、輸液量を絞ることを不安がる家族に対して、「体力が少なくなると、栄養や水分を受け止める力が少なくなり、無理に輸液すると受け止められず、逆に体への負担になります。これまでに比べてうんと少ない量しか入っていないかもしれませんが、現在の体力にはこの量が一番良いバランスだと思います。このバランスを保てるようにこれからも調整します」と説明している。
カンゴルー
医療者だけでなく、患者とその家族の誤解を解くことで、より良い緩和ケアが行える
https://jtca2020.or.jp/news/cat3/infusion/
あいさんの家族のだした結論は間違ってないですよ。
点滴のことは獣医さんがおっしゃるようにレオちゃんの身体の状態を調べてからでないと適切な量の輸液はできないと思います。多すぎると浮腫もあり苦しませますから。
最近はなんとなく点滴するってことは減っています。周りに流されないようにね。
令和5年8月27日
飼い主さんのその後
猫の看取りには色んな意見がありますが、私は最後は自然に逝くことが良いの考えはかわりません。
あいさんの意見には賛成する人の1人です。
レオちゃんはみんなに大切されて幸せな子だなぁと思いました。
また、色々、心が揺れるかもしれませんが、避けて通れない道、どうか、心穏やかにお過ごしくださいませ。
こわい、さびしい、かなしいは、きっと皆同じなんでしょうね。そう思うのは、それだけレオちゃん、飼い主さんが幸せに過ごせた証なんですよ。
少し心が軽くなったのなら、私は嬉しく思います。ブログを書く励みになります。ありがとうございました。
レオちゃんが穏やかに過ごせますように
令和5年8月27日
レオちゃんのその後
アイさん、大丈夫です。落ち着いてください。
レオちゃんにはもう意識がありません。残酷なことはしていませんよ。
看取るというのは、そういう事なんです。見続けないといけないので恐怖もあるんです。
でも、怖いと思うんです、大丈夫ですか。
水を断って3日、もう、そろそろだと思います。
- 数日前からほぼ意識のない状態で
- 足をバタバタさせる痙攣らしきものや
- 口臭のあるよだれ
- 吐息を吐くような息
- 鳴く
強い子なら数日続くことがあります。下顎呼吸はしていますか。
口をパクパクするような仕草です。
レオちゃんのことだから、病院で亡くなるのは望まないはず。
飼い主さん、落ちついてレオちゃんを見守ってあげてね。
お手紙間に合うか心配です。
レオちゃんは、もう痛くないし、苦しくないんだよ。
大丈夫だから。
もし、不安なら先生に相談してみてね。
令和5年9月4日
レオちゃんが虹の橋を渡りました
令和5年9月4日レオちゃんは虹の橋を渡りました。心よりお悔やみ申し上げます。
ああ、やはりあの日、最後の日だったのですね。そうだと思っていました。
辛かったね、アイさん。悲しみが伝わってきます。
レオちゃんが最後にしてほしかったことは愛する飼い主が側にいることだったと思います。
顔を何回も見たのは「ありがとう」と言いたかったのではないかな…
吐いた時はパニックになったと思いますが、最後は体の中の物を空っぽにして、あの世にいきます。
点滴をしている場合は延命のため血圧をあげるお薬を入れるので、便、尿などは亡くなってからドバッと出ます。亡くなるまでお薬で止めているので苦しいんです。
出しきってあげたほうが、楽に逝けるんですよ。
死の間際の体の反応であの日は、ほぼ意識がなかったと思います。
アイさんが他にやれること、看取りはこれでよかったのか?と聞かれると
よく、頑張ったね、それで良かったんですよ!全力を尽くしたんだよと言いたいです。
看取りって、猫それぞれ違うので、予想がつきません。ほんとうに…向き合うのは辛い事なんですよね。
私もなんだか、レオちゃんが逝ってしまってさみしいです。
飼い主さんに見守られて、逝けるなんてレオちゃんは幸せだったんだよ。
完璧な看取りでした。
今は悲しいけれど…ゆっくり身体を休めてくださいね。
お手紙ありがとうね。
令和5年9月13日