差出人: 足立
題名: 看取りました
メッセージ本文:
16歳の子の顔に腫瘍が見つかり、もう高齢の上、怖がりで私以外の人間が大嫌いな子でしたので、積極的な治療はしないことを選びました。
食事の量が減り、やがて自力で食べなくなり、しばらくは強制給餌をしていました。
最初は受け入れてくれていたのですが、1週間ほど経った後「もういらない」と言っているのがテレパシーのように伝わってきて、強制給餌もやめました。
でもどうしたらいいのか、飢えて苦しいのでは、少しでも長く生きてほしい、でも苦しむなら早く楽にしてあげたい、さんざん悩んで、にゃあこさんのブログを見つけました。
とても救われました。
愛猫を看取った他の方のメッセージも全部読みました。
読みながら一緒に泣いて、そのうち看取りの心構えが出来ました。
強制給餌をやめてから5日後に痙攣を起こし、もう駄目だと覚悟しましたが、最終的にはお水だけで40日も頑張ってくれました。
その40日は、ずっと人間の手が届かないベッドの下で過ごしていました。
痩せた体で床で寝ているのは痛いだろうとクッションを敷いたり、元気だった頃にお気に入りだった段ボールベッドに移動させたりしても、よたよたしながらベッドの下に戻ってしまいます。
元から抱っこや一緒に寝てくれるタイプではなくて、適度な距離感を保って暮らしていましたので、ひとりになりたいんだなと思って、顔を拭いたり、様子を見るだけでそっとしておくようにしました。
トイレだけは最期まで自分で行っていました。
トイレに行くためにベッドの下から出てきたついでに、スポイトで水を飲ませていましたが、飲む量に比べて、おしっこの方が多く、死ぬ前に体内をきれいにしようとしているんだなと分かりました。
出勤する時はいつも「帰ったら冷たくなっているかも」と覚悟はしていました。
でも、旅立ったのは日曜の朝でした。
最期は一緒にいて抱き締めてあげられました。
にゃあこさんのブログの「死の前兆」の順番どおりの経過をたどって旅立ち、私も心の準備をすることができたように思います。
入院や手術をさせなかったことにも後悔はありません。
今、悔やんでいるのは、死の前日に、元気だった頃によくしていたように浴室でお風呂の縁に飛び乗ろうとしていた時「あぶないよ」と止めてしまったことです。ジャンプに失敗したとしても、やりたいようにやらせてあげれば良かったな・・・
小さな庭付きのアパート1階に住んでいた頃、庭に母猫が3匹の子猫を連れてくるようになり、あまりの可愛さに4匹ともウチの子にしてしまいました。
母猫と子猫3匹のうちの女子たちは、先に天国に行き、最後に残った男の子でした。
きっと最期はママ猫と姉・妹猫が迎えに来てくれていたと思います。
子猫時代から見ていたので、人間からすれば子供のように思えますが、本猫は反対に私の面倒を見ているつもりだったような気がします。
夜更かししていると「早く寝なさい」とベッドで呼んで、私が寝入るまで枕元で見張っていました。朝も目覚ましが鳴る15分前に起こしに来てくれました。
私はひとり暮らしのため、猫がいない家に帰るのが寂しいです。
でも猫がお水だけで生きていた40日間もたくさん泣いたので、立ち直ってちゃんと生きていかないと猫たちが心配しますね。
長文ですみません。
にゃあこさんのブログは、猫と暮らす多くの方の支えになっています。
ありがとうございました。