看取りを決めたものの終末期が近づくにつれ不安が…これでよかったのだろうか
- 点滴のやめ時は?
- 食べないからかわいそう
- 罪悪感
- 飼い主としての役割は果たしてるのか
- 猫を苦しめていないか
悩むことも増えるのよね。
Yukoさまからのお手紙を読ませていただき、看取りについて私も深く考えさせられ、私なりに看取りについての考えをまとめてみました。
きっと、他の方の参考にもなると思うので、ぜひ最後までお読みください。
介護は孤独です。1人で悩まずお手紙をくださる皆様に感謝いたします。あなたのお手紙が人と猫ちゃんを救うことになるんです。
腎不全末期の猫の介護をしておられるYukoさま、もう看取ると決めたのに悩んでおられるのですね。
Yukoさま、大丈夫です。愛猫は苦痛なく枯れるように逝けますので安心して介護を続けてください。
私たちと一緒に考えていきましょ。
目次
Yukoさまからお手紙いただきました
猫ちゃんが少しでも快適に過ごすため、セレニアはしばらく続けてもいいのではないですか。
お手紙を拝見しましたが、看取りの準備は完璧だと思います。
疑問に思うことは点滴とかわいそうと思う気持ちがあるということなんですね。下にまとめてみました。
また、後ほど付け足すかもしれません。
点滴を減らす、止めるタイミング
最低限の点滴は、ギリギリまでしてもいいのではないかなと思います。その中に苦痛を取るお薬をいれたりするために。
最後まで意識があり苦しんでいるようなら、意識レベルを下げる薬をいれて眠らせる方法もあります。
点滴の止め時は
- 痰が増えたとき
- 腹水、胸水が溜まりだしたとき
- 浮腫があるとき
です。
体に水が溜まる原因は体が水分を吸収できない状態になっているからです。その状態にあるにもかかわらず、点滴により水分を入れることで
腹水、胸水が溜まり、浮腫が増え呼吸が苦しくなるなどのかなり辛い症状がでてきます。
溺れるような息苦しさです。
過剰な輸液・人工栄養は余命を短縮してまうこともある
Yukoさんの猫ちゃんは腎不全末期で、ガンとは関係ないのですが
ガンの終末期において過剰な輸液を行うと余命が縮まり、苦痛が増すと多くの論文で報告されています。
高カロリーな輸液を行うとガン細胞に栄養を与えることで、猫ちゃんの死期を早める結果になると知っておく必要があります。
過剰な輸液を続けた結果、寿命が延びるどころか、縮める結果になることになります。
かわいそうと思うのはなぜ?
かわいそうと思うのは私たちは日本人であり、人間として普通の感情だと思いますよ。
それと日本は点滴文化であり看取りに慣れていないからだと思います。
日本では終末期に点滴をしない場合、家族を餓死させたというトラウマを背負うことがあります。
皆さんは、この状況で点滴をすべきだと思いますか? 後日、同僚のアメリカ人医師(ベトナムの前も中国で働いており、アジアでの長い診療経験を持っています)に相談してみたところ、笑いと共に返ってきた回答はこうでした。
「アジア人は点滴が好き。点滴で調子が良くなると考えているから、『点滴を受けると治療をしてもらった』という気分になる」
「欧米人は点滴が好きじゃない。点滴をするのは『点滴をしなければならないくらい病状がひどいから』というようにとらえている」
「アジア人の中でも、特に日本人は点滴が好きだよね」
引用元:日経メディカル
欧米などでは口から食べたり飲んだりできなくなったら、そのまま自然に任せるのが普通で「寝たきり老人」はいません。
日本では家族がが終末期に老衰や病気で
食べれなくなったから点滴をしてほしいと願うことは当たり前の感情なのでしょう。
点滴をしてもらってるから飼い主は安心、でも猫ちゃんはどうなのでしょうか。
終末期の点滴のデメリットを獣医師と話し合うことが大切だと思います。
食べなくって自然に任せるのは餓死という考えが根強く「餓死はかわいそう」と思う人が多数だと思いますが、そうではありません。
もう、あちらに行くから楽に逝けるように食べないんです。
私は日本人ですし個人的な感情で言うと、美味しいものを食べれないなんて、やっぱりかわいそうだなって思います。
期待している効果がでない場合ダラダラ治療しない
大切な事は、治療によって期待している効果がでていない場合、治療は継続しないほうがいいと思います。
最初の一回は劇的に良くなったような気がしますが、回数を重ねると効果がなくなることが多いです。
そういった場合は、ダラダラ治療しないで、自然に任せ、緩和ケアをするのがいいのかもしれません。
終末期でも色んなフードを目の前に並べてあげて
私は猫ちゃんが食べなくなっても、色んなフードを並べています。
人間なら、父の場合「抹茶のアイスクリームで練乳と小豆が入ってるのを食べたい」と言っていました。
でも猫ちゃんはしゃべれません。
もしかしたら、並べたフードで食べたかったものが出てくるかもしれません。
食べることは楽しみのひとつです。
見るだけでも満足するかもしれません。
その提案はいいと思います。
最後に
まだ、文章がまとまりがなく、もっと伝えたいことがあるのですが、今回はここまでとしときます。
私もblogを見つけてくれてありがとう
読んでくれてありがとう。
介護は孤独ですが、私もあなたを見守っています。
お手紙ありがとうm(_ _)m(_ _)m
令和5年5月27日
yuko さまのその後
yukoさまからお返事いただきました。看取りで悩んでいる全国の皆さんの参考になるでしょう。まとめてくださってありがとうございます。
ブログを書く励みになり嬉しく思います。Yukoさま、介護は大変です。
どうか、自分自身の身体もいたわってあげてください。
お互い、体調に気を付けましょ。
令和5年5月28日
Yukoさまの愛猫が虹の橋をわたりました
令和5年6月5日Yukoさまの愛猫が虹の橋を渡りました。心よりご冥福をお祈りします。
今回もシェアさせてください。私は色んな看取りを経験しているので、枯れるように逝くことの温度差があることに気付きました。
体が枯れてもその子の健康状態によって、時間がかかる場合があります。
息を吹き返したりする場合もあるんです。特に心臓の強い子は。
ただ苦しそうに呼吸をしている場合は、猫に意識はありません。脳が酸欠状態になっているからです。苦しみはなかったはずなので、そこは安心してください。
看取りって、最後まで見届けるのは初めてならとても辛く、トラウマになる場合もあるので、そこは覚悟してくださいと皆さんに言いたいです。
Yukoさんの猫ちゃんは水を最後まで飲めるぐらいだったので、生活の質を最後まで保ち猫らしく生きたのだと思いますよ。
看取りとは命と向き合う行為なので、人によっては恐怖を感じることもあるでしょう。Yukoさんの今後の心は大丈夫かな。
ゆっくり心を休ませてね。
Yukoさんが安楽死を選択しても後悔は残ったと思いますが、安楽死という選択肢も猫ちゃんにはあります。
最後まで猫ちゃんの側にいてくれてありがとう。
報告ありがとうございました。
私も看取りについて言葉足らずなことがあり申し訳ございませんでした。
どうか、体と心を大切にしてください。介護お疲れさまでした。
令和5年6月6日